『 不足 』



精を吐き出した身体の怠さと、その精を吐き出すために彼の幻想を浮かべて
汚したような、酷い罪悪感に苛まれて暫くは身体を動かすことが出来なかった。

はっきりとしない意識の中で、カツ、カツと乾いた音に気づいたときには
既に遅く、休憩室のドアが開いた。

「…何をしている、四乃森」

その声に心臓が裂けるほどに激しく脈打った。

身体が熱くなる感覚と血の気が引くような冷たさを同時に感じたのは初めて
だった。自分の今の格好と、生臭い精の臭いを誤魔化せる気すら起こらず、
俺は求めていた筈の姿を視線を向けることさえ出来なかった。

顔を上げることの出来ぬ俺に容赦なく近づくと、白濁に汚れた俺の手首を
掴んで息のかかる距離まで引き寄せた。

「…で、満足したか?」

当たり前に、此のような場所ですることではなく、人に晒すべき姿でも
なくて、増して、今掴んでいる手に触れられることに焦がれながら―

自分自身を蔑むような寒気と、焚き付けられるような熱さで鳥肌と火照りが
同時に起こる。

首を縦にも横にも振れず、身体が強張って動かない。
動かない俺を凝視する視線から逃げ出したい感覚と、腕から伝わる彼の体温
に脈だけがどんどん上がっていく。

「肌が白いと跡が目立つな」

身体に散らばる俺自身で弄った跡を視線で追う。
そして、その赤く色づいた箇所を這うものは視線から指へと変わった。

ある筈のないと思っていた、しかしながら待ち侘びた感触に全身に痺れが
伝わる。たかが指で触れられただけだというのにビクつく身体をからかう
ように僅かに指先で掠めていく。

”随分感度がいい”と胸の赤らみに口付け湿気た音を立てて吸う。
そのうちに舌を絡められて頭の中に真っ白い火花が散る。
「…ぁ…ああ…ッ」

思わず喘ぎが溢れた瞬間から硬く赤らんだ突起を舌先で弄ばれると、
抑制する機能が決壊したように、喚くような声が止まらなくなる。

「ぅあああ!ああああ!」

身体が痙攣するように小刻みに震え、既に口で呼吸をするほど上がった息を
整える間もなく滑り降りる舌の動きに身体が仰け反っていく。

「…ふ…ぅ…ぅうッ、あ・ぁああ!」

先ほど達したばかりの自分の雄は再び熱を持って情けなくダラダラと滑りを
吐き出し始め、体中が熱くてたまらなくなる。
その滑りでわざとらしく音を立てられ、喘ぐ口を唇で塞がれた。

口で息をしていた渇いた唇を潤ませるように口付けられ、ただただ身体だけ
が焚き付けられている感覚から、そうしているのが、今、彼であることを
改めて浸透させる。
それは逆に現実感を失わせ、俺は必死で舌を絡め、飛びそうになる意識を留めた。
そして一瞬、唇が離れ、


「此処にいたら名は呼ばないのか?」

そういわれた瞬間に血の気が引いた。


”聞かれていた”


彼の名を呼んで乱れたことを。

呼び続けた理由を―――?


「俺が此処にいるのに、求めないのかと聞いている」

全身の血が足へと下っていく貧血のような感触がして、自分の中に残る羞恥が躊躇
わせつつも、触れられればすぐに滾る身体はそうしたがっていることは分かっていて ―

それが、求めることを彼が許すからなのか、否定したいからなのか、言葉の意図を
探るけれど、強すぎる感情は冷静さを奪っている。

もし、前者ならば、望むべきは ―――



「… 慰みか ― 同情か何かのつもりか …?」


けれど、

出来る筈がない。
言葉すら伝えることが出来ずにいたのに。
冷静な振りをして漸く口を出た言葉は開き直り程度でしかない。

勝手に想いを抱いて、空回って、醜い欲の糧にすらしてしまった。

この卑しさを生理現象であったかのように片付けて、割り切ろうとしている
とすれば、これは彼なりの慰み、なのかも知れない。

あとは、俺が、そう片付けることさえ出来れば ――

次の言葉を言おうとした瞬間に、掴んでいた腕が解かれ、彼の両腕が俺の
背へと廻り、抱き寄せる。

彼の、しようとしていることが分からない。

けれど、伝わる体温に眩暈がした。

「 … 斎 … 藤… 」

名を呼ぶと湧き上がる感情で息が詰まりそうになる。

「俺は、そんな薄甘い感情で抱き合う趣味はないんだが、

 ―― 俺は今お前を抱きたくてたまらない。」

はっきりとした口調で言った後、もう一度赤い跡へと口付けていく。

「…斎藤…、俺…は――」

息が上がったフリをして飲み込んだ言葉を本人の前では口にすることが出来ない
まま、彼の袖を掴み、僅かに頷いた。彼はその言動の意味をどう捉えたのか
一瞬眉を顰めた後に、フッと息を吐いた。

背に手を回したまま、耳を啄むように口付けるとその息の掛かる距離感で
”脱げ”と言ってから腕を解いた。

辛うじて肩に掛かっているだけの上着とズボンを太腿の中程まで下げた自分の
格好を改めて見返し、恥ずかしさが舞い戻る。
肩に掛かった上着を取って、床に置くと、”全部だ”と、また耳許で囁かれる。
身に纏うものを全て脱ぐと、彼の視線を全身に感じて体が熱くなってくる。

自分が何をしていたか、彼が分かっているとは知りながら、体中の彼が啄んだ
跡が、自分の精で汚れた太腿が、そしてまた滑りを垂らしながら勃ち上がった
雄が改めて彼の視線に晒されて恥ずかしさと同時にゾクゾクと興奮を覚えている。

「まだ何もしていないのに ――、視線ですら感じるか?」

彼の言葉にさらに煽られ興奮が抑えられなくなる。
制服の裾を引き、無言で訴求しても彼は応えてくれず、黙って自分の手を俺に
握らせた。

「何処を、どう触ったのか再現してくれ、― 俺の、手で。」

彼の低い声がまるで媚薬のように俺を操る。
身震いがしそうなほど恥ずかしくて堪らないのに、何故か否定をする気が起こ
らない。恐らくは、彼に望まれることを望んでいたから――

今、少なくとも彼は、俺を求めている。
この手で、俺に触れることを――

自分の手の中の骨張った手を握り、胸に宛がい擦りつけるけれど、彼は一切
手を動かさず、視線だけを向けている。
それでもやはり自分の中に残る羞恥と、人の手を握っている動きの制限もあって
自分の手だけのときよりも遥かにぎこちない動きがもどかしい。
いつの間にか、恥ずかしがっていた筈が気付けば動かぬ手に体を擦り付けていた。

「物足りないなら手を離して、自分の手だけでもう一度するか?」

とまた耳打ちをする。
”嫌だ” それすらも口にせず、俺はただ首を横に振って胸から自分の雄へと
手を動かし、彼の手ごと宛がって擦り上げた。

「・・・・ん・・く・・・は・・あ・・」

彼の手の感触を感じると呆気なく息が上がる。硬く、乾いた彼の、手。
彼が自身で手を動かしてくれれば、もっと――― そう欲求は湧き上がりながらも
なおも続けると

「欲しがれば、欲しいように与えるものを」

と呟いた。俺は自分の欲が抑えられる状態ではないことを感じていて――
掠れそうになる声を息を呑みながら吐き出した。

「・・斎・・藤、・・・この、手で・・・―― もう、我慢できない・・・」
そう自分の欲を言葉で吐いて、彼の手を握る手に力を篭めた。

「――俺も、そろそろ焦らすのも飽きた」

彼は僅かに笑みを見せ、休憩室の簡素な寝台へ俺の体を寝かすと、もう一度、
今度は彼自らその右手を、彼を待つ雄に触れる。

「・・・ぅ・・・ぁ・・あっ・・」

僅か、指先が掠めるだけで声が漏れる。
彼の指が滑りを掬うように撫で上げ、その手を潤ませると、今度はしっかりと掴んで
擦り上げる。

「・・は・・・あ!・・ああ!」

自分の雄の律動が体ごとビクつかせる。
その動きを抱き止めるように左手で体を抱いて、そうしながら喘ぐ口に舌を挿し込み
湿った音を立てながら絡めた。

”四乃森”― 触れる唇が俺の名の形に動くと、舌さえもまるで性感帯になったように
彼の舌の動きが体に痺れを走らせる。

「・・・斎藤・・・・斎・・藤!」

抱き寄せられた体はしっかりと密着しているのに、それでも足りなくて縋り付く様に
背に回した手で彼の服を掴み、体を押し付けた。
こんなにも近くにいて、彼を全身で感じているのに未だ足りない。

与えられるほどにもっと欲しくなっていく自分の貪欲さに呆れながらも、もう歯止め
は効かず、何度も何度もその名を繰り返した。

「―― 四乃森・・」

彼はそれを感じ取ったのか、俺の体液で滑った手をさらに奥へと進め、そのまま
中指を埋めていく。

「あ・・・!・・ぁあ・・っ」

彼の指が動かされるままに体は勝手に捻り、息は喘ぐ。

”おかしくなる”

頭にそう浮かんで、でももう、どこかでおかしくなればいいとすら思えていて、
中を掻く指が増やされた時には、自ら足を開いていた。
汗で滑りそうになる手で彼の背にしがみ付くと、強張った彼の雄が、抜かれた
指を追って侵入を迫る。

「・・・俺、相手に勃つんだな。」

自分では正直な侭に溢した言葉を、彼は ”何をいまさら”と笑った。
ついさっきまで、自分は求めても、彼に求められると思ってもおらず、それが率直な
言葉で、そして

――― 続く言葉を呑み込んだ瞬間、一気に彼自身が挿し込まれる圧力に喚きのような
喘ぎを上げた。

「・・・ん・・・ああッ、あ・ああ!・・斎藤・・・!・・斎・藤・・!」

彼と繋がっている今を喉に灼き付けるみたいに、喘ぎと彼の名を繰り返した。

「・・・四乃森、・・言葉を返すが、お前は――俺を、受け容れるんだな」

俺がただ頷くと、”理由は ――”と彼の琥珀の目が俺を捉え、恐らくは言葉を求めた
けれど、俺は目を反らすことも出来ぬまま何も言わなかった。

「――― 言わなかったんじゃなくて言えなかったことにしてやる」

そう言って、彼は腰を更に密着させてから奥へと自らを進めた。

そのまま、彼に衝き動かされて、何度も何度も達した。
俺が吐き出した白濁が彼の制服を汚したが、彼は気にもせぬように正面から抱いて衝き
上げた。――快感に堕ちそうになる感覚を次の快感が醒まし、意識が飛ぶまで。

彼が精を放った時には、体が痙攣してまともに動くことすら侭ならぬ程。

「お前は、絶対的に言葉が足りない。

 案外、焦らされているのは俺のほうだ。」

彼がそう言って抱き締めたのにすら、俺はただ、凭れ掛ることしか出来ずに。


こんなにも強い気持ちを、短い言葉に込めることが出来るほど、
恐らく俺は、感情の表現が上手く出来ないから。


身を繋げてもなお、名を呼んで、縋り付くことしか出来ぬ俺を、彼はただ口を
引いて笑った。